「Cinturato」(チントゥラート)」シリーズ

「Cinturato」(「CINTURATO」(チントゥラート))は初めて宣伝されたのは50年代中期の頃ですが「STELVIO」(ステルビオ)と「ROLLE」(ロレ)とほぼ同時に発売されます。「CISA」(チサ)と「SEMPIONE」(センピオーネ)に追加され、アルプスの峠の名前を持ったピレリの幅広いタイヤ種の単なる新モデルかのように、やや密やかに世に出されました。
ひっそりと、その違いをあまり目立たせないように、と・・・。
だが実際は驚くべき違いがありました。
「CINTURATO」(チントゥラート)ラジアルはベルトのように繊維層(カーカス)を直角に締め付けるバンドが特徴で、ピレリならではのラジアルタイヤでした。
その「CINTURATO」(チントゥラート)ラジアルは1961年頃に開発され、2年後に慎重に発売されました(スチールコード入りの補強ベルトはまだありませんでした)。
なぜ「慎重に」かといいますと当時の一般ドライバの要求には「CINTURATO」(チントゥラート)があまりにも「最先端」でしたからです。主流のバイアスタイヤに比べ、高速においてもカーブに対する安定性に優れていますがそれまでのタイヤより硬く居住性がそれほどよくありませんでした。
そのために当時の宣伝ではスポーツカーのみに提案され、激しい衝撃を気にせず、スピードと根性のあるドライブを好むドライバにアピールしました。
実際には「CINTURATO」(チントゥラート)は1955年に「ランチア・アウレリア」または「アルファロメオのためのタイヤ」として発表され、スポーティな運転用タイヤとしての運命がその時に決まりました。
スピードと安全の「CINTURATO」(チントゥラート)
50年代末期と60年代初期の間に「CINTURATO」(チントゥラート)は次第に、「もっともパワーフルな乗用車のもっとも安全なタイヤ」で「遠心力に負けず、カーブ時の安定性を保つ」タイヤとして評判を得て、そのあと、「粋な自動車」のタイヤというイメージも追加されます。
「CINTURATO」(チントゥラート)は幅広いタイヤ種を持ち、その人気が1962年にムーラスが担当した宣伝広告活動によって向上します。それ以前のドゥドビィッチ作の広告と同じく、女性とタイヤという組み合わせが再びメインになりました。.

だが、ムーラスの描いた物思いに沈んだ、優しい目つきの白黒女性こそ、「CINTURATO」(チントゥラート)の新たな解釈を提示しています。今度は男性ドライバが求めるスピードとパワーのみならず、初期の女性ドライバの要求に応えて安全と信頼性を提供するイメージを築いていきました。
ムーラスの新しい広告コンセプトはバイアスタイプの「SEMPIONE」(センピオーネ)シリーズの中で、もっとも信頼性を持った「安全ショルダ「SEMPIONE」(センピオーネ)」のモデルにも使われたことは、勿論、偶然ではありません。
とはいっても、「CINTURATO」(チントゥラート)のイメージは「安全」のテーマに偏らないように、スポーティな面を強調しょうと、1965年のムーラス作の広告にアルゼンチンのファン・マヌエル・ファンジオ操縦士も登場・・・。
「以前、「STELVIO」(ステルビオ)装着の車で走っていたが今は「CINTURATO」(チントゥラート)を使っている。「CINTURATO」(チントゥラート)は他のタイヤとは全然違う!正確な運転操縦が一番の特徴だと思う。素晴らしい!」という広告が発表されます。
その翌年、リッカルド・マンジ作の「Andiamo sul sicuro(安心を選ぼう)」という広告メッセージで「安全」というテーマが再び目立つようになります。
そのあとも、ピーノ・トヴァッリャ(とアッリーゴ・カステッラーニ)の才能がスポーティな運転の楽しさと「徹底した安全性」の心強さをペアにした「Un viaggio ma」(「単なる旅だが・・・」)というアイディアもその宣伝コンセプトの一例です。
(ピレリ「CINTURATO」(チントゥラート)のもっともポピュラーな宣伝の例を写真ギャラリに紹介しています)
世界制覇へ
「CINTURATO」(チントゥラート)は市場に広がったのは60年代末期で、そのころから世界から注目を浴びるようになりました。
1968年に世界中の言語で「CINTURATO」(チントゥラート)のことを「「CINTURATO」(チントゥラート)」というイタリア語で表現するという(またもやピーノ・トヴァッリャ作の)名作広告キャンペーンが発表されます。

「イタリア(そしてイギリス、フランス、アメリカ、ブラジルなど)では、ピレリ製品が出回っている、どの市場でも「CINTURATO」(チントゥラート)がラジアルタイヤの中で、もっとも安全性をもったタイヤとして成功している。「CINTURATO」(チントゥラート)はカーカスを直角に締め付けるバンドを持ち、高速でもタイヤの変形を防ぎ、トレッドの安定性までしっかりと保つ。両端部がとても柔軟で良い居住性を保障する。曲がり道でも、直線した道でも、雨道でも、ブレーキ時や高スピードの時も、どの状況でも安全」
その新たな成功はジューリョ・カッパ著『未来はラジアル』(1968年5月・6月のピレリ誌、5・6号)の記事で語られました。
当年のサローネ・ディ・トリーノ展示会にて紹介された「CINTURATO」(チントゥラート)シリーズは高速向けのH、HSと雪道・泥道向けのDP34で構成されていました。
もはや、スポーツカーだけのタイヤではありませんでした。
高性能なため、産業車両用のSN55とAT89、そしてオフロード車用のRM94と農業車両用のトラクトルアグリーコロのモデルで生産の幅が拡大します。
1968年の終わり頃、ピレリは137ヶ国に「CINTURATO」(チントゥラート)の輸出や直接生産を行っていました。
ラリーでの成功
60年代末期に「CINTURATO」(チントゥラート)はBS3モデルからラリーレーシングを継承します。しかし、BS3も天才的な発想から生まれ、無視してはいけない名タイヤでした。分割トレッド式でピレリの歴史の中でも特別なBS3はヒット商品になれるような製品でした。

しかしながら、フィアット124スポーツとムナーリとマンヌッチ操縦のフールヴャHF1600の成功で「CINTURATO」(チントゥラート)が世界中の道に普及していきました。
1972年の「Fatti e Notizie」(「事実とニュース」)に、モンテカルロラリーについては「このタイヤはレーシング中にある石や地面の凸凹による衝撃への耐久性に優れている。ラリーはタイヤ生産者にとってテストであり、最終検査のようなものです。また技術状況を分析でき、刺激や有利な情報を得る場でもある。ラリーを通して開発設定が正確かどうかを測ることもできる。
そして最終的にレースから新しいアイディアが世界に発信され、プロの技術と裏技が社会の財産になる」というコメントがあります。
また、「山田さんはアスファルトなどの一般道路にも使えるMS35を車に付けて安心して街を出て、泥道を走って雪道までまっすぐ進みます。平気で氷道へと。彼は今、ムナーリ操縦士になった気分だろうね」というコメントも。
「CINTURATO」(チントゥラート)シリーズの中でも、ツーリング用のCN36とマッド&スノーのMS35タイプがもっとも普及していきました。
また、1972年の終わり頃には、CN54という製品名で一般自動車用のラジアルタイヤの供給を広げる新しいタイプが登場します。
そのうちに、更新された速度制限が実施されました(SRは最高速度180kmh迄、 HRは210kmh迄)。
「RIBASSATO」(リバッサート)へ

残りあと一歩。
それまで、タイヤの高さに対する幅の比率が80%で、そのパーセンテージを縮小するための挑戦が残されていました。
1974年、ピレリはまたもや「CINTURATO」(チントゥラート)の新モデルのCN54 70系を発表します。この新モデルではトレッド断面高さの横幅に対する比率がなんと70%まで下がっていました。
「今までのものに比べれば、このタイヤで走れるキロがずっと多いにも関わらず燃費がいい。そして安定性と居住性がよく、安心して走れる」と1974年のピレリ社誌で説明されています。また、「技術の面では安定性が路面に接するトレッドの幅と深く関係しているということを考えて、タイヤ構造の改良への研究を進めた結果、この新モデルが生まれた」と・・・。